(2025/7/28)

(続)「日米関税交渉」を考える

日米戦争(太平洋戦争)に入る前、日本側の担当者 野村駐米大使はハル国務長官と交渉していました。しかし、 戦後、ハル長官は回顧録を書いて「野村は通訳を入れる ことを拒否した。しかし、私は、彼の英語が分から なかった」と書いたのです。(封印の昭和史参照)

つまり、野村大使とハル長官の間に実質的な交渉は なかったのです。ハル長官は、何を言っているのか 分からない野村大使の英語を聞いていただけなのです。 これは、交渉ではなく、ただ会っていただけです。 そして、野村大使はハル・ノートを手渡されたのです。 そして、このハル・ノートを受けて日本政府は対米開戦 を決意し、山本連合艦隊司令長官は周囲の反対を 押し切って真珠湾奇襲を命令しました。

 

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